外語祭ってなんだろう

  • by

こんにちは! 屋内-装飾局(おくそう)3年、スペイン語科のはるです。毎年カオスな5日間が繰り広げられる最高の学園祭、外語祭ですが、まさか現役最後の外語祭がこんなにもカオスなことになるなんて。。。9月から予定していたバルセロナ留学をあきらめ、留学直前にボランティアとして参加する予定だったオリンピックも延期。留学行かないなら最後まで参加できるじゃーん!がんばろ~!と思った外語祭は食品提供中止、そして史上初のオンライン開催を決定しました(中止は何度かあったんですよ、興味があったら調べてみてください)。食品提供中止やオンライン開催のニュースを見た時、戸惑いや不安を隠せなかった方々もいらっしゃると思います。外語祭のみならず多くの学園祭がオンライン開催を発表し、「オンラインで学園祭って何なの……? どうなるの……? やる意味があるの……?」という声もたくさん聞いてきました。
日本中の学園祭が「学園祭とは何か」と、存在意義を問われる状況にあります。外語祭とは何か。
その答えは皆さん違うものをお持ちだと思います。
私もある一つの答えを抱えて広報局の担当者の睡眠時間を削るなど多大すぎるご迷惑をおかけしながらポスターを描いて応募したのですが、予想外に多くの方にご投票いただいてなんと通ってしまいました。
やったー!! なんで?? ありがとうございます!! いただいたアマゾンギフト5000円分でお詫びとして広報局にお菓子を貢ぐ予定です。密にならないように菓子パしてください。

こういうこともあり、せっかくなのでこの場をお借りしてこのポスターを描いた経緯を書こうと思います。
(あくまで私個人の一つの答えであり、外実の公式見解でないことをご理解ください。ちなみにポスターの著作権は外実が持っているので私が以下に書くことは何の効力もないヤジにすぎません)ポスターの募集はキャッチコピーの発表とともに始まるのでポスターデザインはキャッチコピーの解釈から始まります。「世界と僕らの交差点」を聞いた時、まず想像できるのは「世界という道路と僕らという道路の交差点」かと思います。そして、「世界と僕らの交差点」こそがすなわち「外語祭」と考えるのも難しくないと思います。「世界」と「僕ら」が交差するのですから、「世界」=「僕ら以外」となります。「世界」は人称ではないので必ずしも人を指すわけではありません。では「僕ら」とは誰の事でしょう。「ら」がついているので複数人です。そして、何かしらの共通項でくくられる人々です。
日本人でしょうか?
「海外と日本人が交わる点」が外語祭なのでしょうか。 そうではなさそうです。簡単なところから言えば留学生をはじめとする様々な国籍の方が外語祭を楽しみ、円形広場には国際日本学部(日本語科)の料理店が出店(みたらし団子ドック推しですあれは最高)し、プロメテウスホールでは日本語劇が上演され、和室では茶道部が茶と菓子を提供します。他の企画も「海外を紹介する何か」ばかりではありません。
そもそも国籍やホームだけが「僕ら」を定義づけるものなのでしょうか。ここでキャッチコピーは外語祭の来場者に向けた宣伝文句ではあるが、僕らは必ずしも来場者だけを形容しているわけではないのでは?? と考え始めます。私も「僕ら」になっていいのでは??では私はどういう「僕ら」として世界と交わっているんだろうと考えると、日本人として、スぺ科として、外実として、おくそうとして、美術部として、学生として、外大の人間として……数えきれないほど思いつきます。日本人として食べるエンパナーダは「世界」かもしれませんが、1年の時エンパナーダを売っていたスぺ科料理店は「僕ら」でした。普段接するスペイン文学は「世界」でも、2年の時に演じたスペイン語劇は「僕ら」でした。その時はむしろエンパナーダを買ってくれた方、語劇を見に来てくれた方が「世界」だったはずです。客としてスペイン舞踊を見に行けばスペイン舞踊は「世界」だし、私は日本人でも、日本料理店や日本語劇はある意味「世界」でもあるのです。一見安易な答えが見えてきました。外語祭において「僕ら」は一概に何、とはいえず、そして「世界」も一概に何とは言えません。
外語祭では、あらゆる人が「僕ら」になりうるし、あらゆる人、モノが「世界」になり得ます。一人の人間が様々な「僕ら」であり「世界」です。そう考えると「交差点」も外語祭というたった一つの点ではない気がします。外語祭で人と人、人と物が交わる無数の機会が交差点です。団体さんと外実がやり取りする。企画を出す。お金を渡して商品を受け取る。食べる。飲む。発表をする。発表を見る。言葉を交わす。知らなかったサークルを知る。知らない人と肩がぶつかる。すいません、と会釈する。落とし物を拾って届ける。GAIGOSAI WEBを見る。YouTube動画を見る。コメントする。
そのすべてが交差点です。それを作り出す空間が外語祭です。数多の「僕ら」が、数多の「世界」と交わる。この構造を、地面に引かれるたった2つの道路という具象で喩えるのは不可能でした。
様々な角度から無数の「世界」と「僕ら」が交わりあう……私はほんの一部の「道路」を三次元構造で表すことにしました。最初は3Dグラフィックスに挑戦しましたが、初めてやるし時間がなさすぎ難しすぎ……であきらめ、ふつうに2Dで遠近法で何とか表すに至りました。3Dグラフィックスはコンピュータの中にバーチャル空間を作り出し、その空間の中に架空のカメラを設置して「撮影」する手法です。3Dアニメもバーチャル空間で撮影されているんですよ。すごい。さて私は。。直方体ひとつ作って良い感じに配置するのもひと苦労……まぁ無理ですね……諦めて正解。。
夜のような暗い空間に光り輝く「道路」をいくつか敷いたら、あとは「星」をちりばめます。あのキラキラは全部「道路」を省略した交差点のつもりです。どうか外語祭で生まれる無数の交差点の一つ一つが、星のように輝きにあふれるものであるように。そんな願いを込めてポスターを描きました。投票してくれた方々にそれが伝わっていたかは分かりません。この素晴らしいキャッチコピーを考案された方の思惑とは全く違ってしまったかもしれません。この世界で生まれる交差点は、輝かしいものばかりではありません。今年に入ってそれは顕著になったように感じられます。交差点自体が減ってしまっているかも。「世界」に目を向けず、「僕ら」だけの道を進んでしまっている事もあるでしょう。だからこそ、外語祭は交差点を生みつづけます。第97回からの本部企画に「くじらゆうびん局」があります。ポストカードに知らない来場者へメッセージを書いて投函し、別の知らない来場者からのメッセージが書かれたポストカードを受け取ります。きっと一生会うこともない、外語祭に来たという共通点しかない他人同士が外語祭という空間で交差します。第97回外語祭のキャッチコピーは「私の非日常、世界の日常」でした。このほかにもある沢山の企画を通じて普段想像することもない他者の日常に思いをはせるのです。多文化共生を掲げる東京外国語大学の学園祭が、海外・異文化に限らず自分とは異なるものと交わり、異なるものを想う空間を作り出すことは大いに意義があることではないでしょうか。たとえその交差点がインターネットの中にあるとしても。もう外語祭は単に世界一周旅行が一日でできるイベントどころではないところまで来ているような気がします。最後に改めて、これは外語祭実行委員会の公式見解でもなければ、他の答えを間違いだと否定するような正解でもありません。ただ、オンライン外語祭を参加したり訪れたりしたあなたが普段の生活では交わらない「世界」と交わり、別の誰かもあなたという「世界」と交わるのは確かなはずです。長くなりましたごめんなさい。ここまで読んでくれて、¡¡Muchas gracias!! 

はる(屋内ー装飾局3年)