いよいよだ。

大きな焦燥と抑えきれない興奮が入り混じった何とも言えない高揚感。この始まる前特有の感覚を抱くのもこれが最後かと思うとそれなりの寂しさも感じる。振り返ればまあ相当に長い道のりで、よくぞここまでやってこれたなと我が事ながら思う。が一方で、こんな状態なのにもうここまで来てしまったのかという後悔もある。足りないのが時間か、自分の能力か、それとも他の何かか、まあ結局は能力に帰着するんだろうけど、とにかく、自分の理想が完全な形となってここまで遂行されてきたかと問われると、二つ返事で「はい」とは言えない、残念ながら。記憶の中にある先輩達の大きな背中に追いつくことはついぞできず、あと少しで終わろうとしている。

まあでもこんなものなのなんだろうなと思う。これは決して目指すべきが完璧であることを否定したい訳じゃなく、僕の話だけに限らず、これまで無数の失敗が存在し、それを次世代が改善しようと動く流れの中で、今の外語祭は形成されたということ。もちろん当然のことながら失敗の裏で、確実に成功と呼べることも積み重ねられてきた。これに関して、大事なのは失敗か成功かではなく、多くの、本当に多くの足跡がありここまで来たということ。ある人がいきなりパッと現れて、一瞬で今の外語祭を作り上げたわけではない。先輩から後輩へ、ある時は後輩から先輩へ、そしてまたある時は同期の間でも、その他の繋がりでも、とにかく、多くの人が程度の大小はあれ影響を与えたり与えられたりして、そして今年、95回を迎えようとしている。それ自体として今年の外語祭が良いものか悪いものかとかそういうことじゃなく、今までの結果として、圧倒的な事実としてこの95という数字が存在する。そして、この95回はもうすぐ終わり、96回97回、ゆくゆくは100回を迎え、さらに突き進んでゆく流れの中の一部となり、これまでがそうであったように過去としてこの先の外語祭の根幹を形成するものとして存在し続ける。
(書いてみると至極当然のことではあるけれど、当然のことというのは往々にして、こうやって改まるような時じゃないと意識することないしまあ1人くらいこういうこと書いても良いよね。)

過去見てきた先輩の姿に影響され、憧れ、今年こういう形で外実を続けることにした。果たして1年間それを見た後輩達がどう思ったのか、その内容は聞き出したいとは思わないし、言ってしまえば至極どうでもいい。ただ、今年の僕の姿を見て後輩のうち1人でも、それが憧れだろうが軽蔑だろうが何かを思い、これから先それを踏まえて動いてくれたなら、それだけで僕がこうしてやってきた意味はあるのだろう。

残すところあと少し。せっかくこうやって自分が夢中になれるものに関わることができたのだから、そのあと少しの間にでも将来向けて何か残せるよう最後まで足掻いていきたいなと、改めてそう思う。

おわり。

写真は本祭バッグ完全形態

髙橋 俊(副委員長)