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代償

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語劇局一年の福岡です。受験勉強を頑張っている高校生のみなさんを念頭に、他の方とは少し違った嗜好のエールを送らせていただきます。突然ですが、僕は今、ものすごくキャパが足りていません。(キャパとはcapacityの略称。人の能力的な許容範囲等を指し示し、キャパる、キャパオーバー等の用法で使われる。「大学生になった途端、多くの人が使いがちな言葉」の一つでもある)

振り返れば大学生になって半年あまり、受験生だった頃に目標として思い描いていた「大学生になったら自分がやりたいこと」にほとんど着手できずにいます。理由は明確です。何かを達成するために何かを犠牲にする、その決断を下す勇気がないからです。やりたいことはたくさんあるのに、自分の能力ではその全てを達成することは困難である。その現実を自覚していながら、何かを諦めたり、割り切ったりすることができず…。葛藤を抱えながら、ひとまず「やりたいこと」より「やらねばならないこと」を優先して自転車操業を続ける日々です。

この葛藤は何も大学生特有の悩みではなく、同時に多くの受験生の方々が抱えているジレンマでもあるでしょう。言うまでもなく受験という圧倒的な「やらねばならないこと」に直面しているみなさんは、日々様々な選択を迫られているはずです。苦手科目を底上げしていくか、得意科目をブラッシュアップしていくか。そろそろセンター対策をするべきなのか、まだ2次試験を優先して記述力をつけるべきなのか。勉強の絶対量を確保するべきか、はたまた質を高めるべきか。入試本番までの時間は有限ですが、学ぶべきことは無限です。受験生であれば誰もが、何を優先すべきか、取捨選択を迫られているかと思います。「捨てる勇気を持て」とは受験生だった僕に高校時代の恩師が送った言葉ですが、どうにもこの言葉は受け入れがたい。自分のキャパを言い訳にして、安易に何かを切り捨てることを推奨する…。それは果たして教育のあるべき姿でしょうか?もちろん受験で勝つためには、少しでも学習の効率を上げていくことが求められます。

しかし、受験とは、何かを切り捨て、諦めることの代償を学ぶ機会ではない。むしろ自分の可能性を広げる格好のチャンスとして捉えるべきではないでしょうか?個人的な願いではありますが、人生においてかなり追い込まれる受験期、あえて自分のキャパを広げることに挑戦してほしいです。

何かの選択を二項対立的に迫られた時、あえてその両方を選び取ろうとする「ある種の勇気」を持ち合わせる人間って素敵だと思いませんか?それは勇気というよりは蛮勇なのかもしれませんが…。その向こう見ずで貪欲な姿勢は、圧倒的な時間が用意され「やりたいこと」に挑戦できる大学生になったとき、必ずや活かされるはずです。代償といえば、この夏話題になった『天気の子』は若者が下した選択の「代償」を真正面から描いた映画ですね!何かを選択するということは何かを犠牲にすること。付随する代償を直視しながらも重大な選択を下した主人公には憧憬さえ覚えます…。というのも、僕は選択をしないという選択をずっと続けてきたのです。何かを犠牲にする、その代償を常に恐れているのです。そしてこれからも、もっとキャパがほしいと願いながら、その場しのぎの自転車操業を続けていくのでしょう。誰かに「大丈夫」と、その生き方を全肯定される日を待っているかなぁ、なんて思ったりしながら。

とりとめもない思索の最後に、友達と夏、観光旅行に行ったシンガポールの写真を載っけておきます。マーライオンです!
脈略はありませんが、受験生の皆さん、がんばって下さい!!