西暦2000年、東京外国語大学は北区西ケ原から現在の府中市朝日町へキャンパスを移転しました。都市部での大学による土地利用に関して制限を設けた工場等制限法(1959年成立、2002年廃止)を受けて、米軍からの返還ののち開発が進んでいなかった関東村跡地への移転が決まったという経緯があります。関東村とは、1964年の東京オリンピックの開催にともなって代々木にあった米軍施設及び住宅が選手村として使用されることになり、その機能や設備が米軍管理下の調布飛行場に移転されてきたものです。調布飛行場は、旧日本帝国軍が帝都防空の要衝としていた航空基地でありましたが、戦後にかけて米軍に接収・管理されていました(1972年に返還)。調布飛行場は、民間用の航空基地としてその規模を縮小して現在でも運営されています。武蔵野の森公園で、その航空機の往来を間近にみることができます。
この一帯の土地は、もちろん、もともと更地であったというわけではありません。調布飛行場の建設は開戦の直前に急ピッチに進められましたが、それは地元住民の土地に対する半ば強制的な取り立てのもとに行われました。このあたりの事情は『多摩地区の軍事化と調布飛行場の歴史』(山本豊, 2018)に詳述されてあります。この地域の生活は、この時点で断絶されてしまったということです。私たちのキャンパスがあるこの土地のここ1世紀においての事情はこのようなものであります。
しかしながら、断絶は必ずしも不幸な出来事というわけではありません。それに対して真剣に向き合う姿勢こそが、明日への展望をもみせてくれるからです。このキャンパスでは今年、またひとつ変化がありました。例年開催されていた大学祭がCOVID-19による影響を受けて現地での開催が不可能になってしまったのです。しかし、私たちには意志ある総勢100名以上の委員会があって、オンラインで開催するという地平を切り拓らきました。さて来たる年の時勢の如何かは神のみぞ知るところではございますが、明日への期待を胸に生きていこうではありませんか。「私がもっているのは希望だけだ。」(アレクサンドロス大王、東方遠征への出発に際して)参考
・『関東村跡地』(廃墟系, 2003, http://www.funkygoods.com/hai/kantou/kantou.html)
・『なぜ府中に外大が? ~東京外国語大学の歴史と 府中キャンパス移転~』(東京外国語大学文書館, http://www.tufs.ac.jp/common/archives/ex_naze_tufsfuchu9.html)
・『多摩地区の軍事化と調布飛行場の歴史』(山本 豊, 2018)(写真: 建設中の新・多磨駅 もうすぐ開業です)
ひろちゃん(事務局)