コンテンツへスキップ

根暗が外語祭実行委員会に入会したら

  • by

皆さまこんにちは。渉外局長のなおです。ドイツ語科の3年生でもあります。
とうとうこのブログが局長陣にまで回ってきてしまい震えています。私がこれを書いているのは、本祭まであと2週間という頃です。ひぇ…… 

渉外局長として、そして本部員として最後の本祭を迎える立場から何を書こうか迷いましたが、ベタに外語祭実行委員会での日々を振り返ろうと思います。こういう時なにか面白いことが思いつく人になってみたいものです。

私が外語祭実行委員会に入会したのは、2年前の春です。実は毎年高校のテスト期間ともろかぶりで外語祭に来られたことはなく、なんとなく学園祭を運営するということがしてみたかったという理由で入会を決めました。高校の時文化祭実行委員会に憧れていたのも関係あるかも。渉外局を選んだ理由としては、人前に出るよりはこそこそ仕事をするのが好きなことと、それでも企業やお店の方とのやりとりを通してビビリな性格を叩き直したいという目標があったことが挙げられます。 

こうして始まった私の外実ライフでしたが、3年間で一つとして開催形態が同じ年がなかった代として活動したことと、コロナ禍で昨年に続く2回目の史上初・ハイブリッド開催を目指す委員会で局長をしたことで本当に大変な思いをすることもありました。まあこの1年で散々舐めた辛酸の半分は、私のもともとの人格のせいなのですが。

というのも、自分でこう言ってしまうのも悲しいですが、私はすぐに自分のことで手一杯になってしまって周りに気を配るのが苦手なタイプです。些細なことでも気負って人から見ればどうでもいいことで考え込んで塞ぎ込んでしまうしまうことが多いのか、責任者としてガチガチになるよりは副責任者や平の立場でのんびりさせてもらった方がむしろ良い仕事ができます。たぶん。ネガティブ根暗人間なのでもちろん挑戦も嫌いでした。しかしそんなことを言っていられたのは去年の終わりまでで、その頃私は渉外局長になることが決まってしまったのです。最初はやる気とともに不安も大きく、しかもそれは的中して、局長になった私は見事にキャパオーバーしました。

それでもこんな私を全肯定して支えてくれて、最後までついて来てくれた同期・後輩の皆さまのおかげで私も慌ただしい日々を駆け抜けながらちょっぴり変わることができました。それは、視野が広くなったことと、挑戦に前向きになれたことです。

まず、局長として全体を見るという行為をせざるを得なくなったこと、開催形態を0から見直さなければならなかったことなど、今年局長をしたからこその体験も多く、半ば強制的に「様々な角度・立場から物事を見る」「既にある決まりを批判的に見直す」ことを学ばせてもらえたように思います。やったー。

それから2つ目ですが、ハイブリッド開催への挑戦はもちろん、渉外局としての挑戦も私に自信をつけてくれたと思います。渉外局は企業や地域のお店、卒業生など外部の個人から外語祭の運営資金を集めることが仕事なのですが、ここ数年減少傾向にあった協賛金の額がコロナ禍でとどめを刺されそうになっていました。そこで私はコロナ禍2代目局長としてなんとかせねば…!と意気込み、詳細は省きますが、いろいろな改革を通して地域のお店や学外の個人からの協賛金額の多少の回復に成功したのです。今後大幅に回復してくれるかは来年以降までわからないことだし、提起した問題が改善に向かったのは各協賛担当をはじめとする局員の絶大な協力あってこそですが、私はこれで挑戦して利を得る味を占めました。我ながらちょろい。とりあえず人と協力して何か成功させることは学んだので、ちょっとは挑戦に対して前向きな人間になれたのではないでしょうか。わーい

もちろんはじめに書いた私という人物像がガラリと変わることはなく、今でもダメダメで面倒臭いところが盛り沢山な人間ですが、外語祭実行委員会入会という一つの選択から生まれたこれだけの変化は、きっと私の宝物になってくれるでしょう。 

長々と面白くも楽しくもない自分語りをしてしまいましたが、私みたいにぐるぐる考えてしまって何かを素直に楽しめなくて生きづらい人も読者の、特に受験生の中にはいると思うので、外実ってこんなに面倒な人間にも寛容で素敵なところなんですってことが皆さまにも伝わって、そして未来の本部員が一人でも増えてくれることを願いながら書かせてもらいました。ここまで読んでくれた方には大感謝です。 

2年ぶりにキャンパスへ帰ってきた外語祭、史上初めてハイブリッドに挑戦する外語祭が、無事に成功しますように。そんなことを願いながら、現状最後のキャンパス開催となっている97回の写真を添えて。このブログを読んだ方、一緒にこの記録を塗り替えましょう。

なお(渉外3年)