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去年書いたことと似たようなこと、砂のお城

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 この時期に私スタブロを書のは、明らかにばかげたことです。というのも、ここ最近私は1年間も会えなくなってしまうおくそうのみんなについて考えないように考えないように過ごしているからです。
 私にとって、時間の流れというのは非常にとめどないものです。毎日毎日日にちだけは変わってゆきますが、そんなのは所詮私たちの恣意的な区切りで、一日徹夜をすればそんな感覚すぐになくなります。カレンダーの概念がなくなれば、私たちは今日と昨日の区別もできなくなって、ただ起きて食べて寝るだけの動物になるのです。実際これは暴論ではありますが、果たして私たちの毎日は見分けがつくでしょうか? 昨日の帰り道に何を考えていたか思い出せますか? おとといの夕飯を覚えていますか? 先週の今、何をしていたか思い出せますか? 思い出せないということは、結局私たちの毎日の生活はどうやっても日常の中にうずもれてしまうということにすぎません。でも別に、私たちは備忘録を作る必要はない。私にとって重要なのはうずもれてしまうことではなく、うずもれない瞬間があること。記憶は砂の城のようなものだと思います。表面の砂は大抵、積み上げてもすぐにさらさら飛んで行ってしまうのですが、何とか城の形を保っている。城のような記憶がある。ね、みんなのことだよ、おくそうのみんなについて考えないようにしてたのに、この時期に私がスタブロを書なんて本当に馬鹿げてる、まじでばか、あほ、続きを考えてあったけど寂しくて涙が止まらないのでおわり。

れとろ(屋装3年)