コンテンツへスキップ

Genius Loci

  • by

外語祭実行委員会広報局地域担当2年のきっしーです。今回は地域担当として活動しながら考えてきたことを綴ります。ややポエム風ですが気にしないでください笑笑

のんびりと田舎をゆき、或いは雑多な都会を忙しなく。人びとはさまざまな土地に暮らしてきた。温かさも冷たさも土地は知っている。しかし、そこにあるものは消えゆき、誰もいない未来の街では、人びとは宇宙船に乗ったかのよう。温度のない土地である。

地霊。

ローマ神話における土地の守護精霊、ゲニウスロキ、日本語で地霊と呼ばれる存在について話そう。土地の神。それはローマを越えて、世界共通、どこにでもいる神。

なんだか無性に土地が恋しくなることは無いか。
旅の終わり、去り際のあの淋しさ。或いは新天地への引越しに弾む胸。懐かしいあの町にかえる時の喜び、せつなさ。土地が心を動かす。地霊が心を動かしている。

とはいえ、土地そのものに霊がいるか否かはさして問題ではない。わたしはそれを地霊と呼んでいるが、あなたにとって大切な場所のすべてを指していると思ってもらいたい。

そういった土地全てに対して、心を巡らす。ここできっと生まれたものもあり、死んだものもあり、喜んだものも悲しんだものも、ある。
霊に例えているのは、その方がわかりやすいからだ。生きた人間は死んでしまうが、土地の霊が生きているとするならば、全ての事象は彼らが「おぼえて」いる。そして人びとは、忘れられてしまった人びとは、それで報われると思う。

さて、現在はどうか。

コロナ禍、自粛中に友人に送るのは、電話で、LINEで、或いはzoomで。土地を介さず送信されるメッセージ。

同じ月を見ている。同じ空を見ている。
同じ時を生きている。「あの子はいま、」がわかる。今日もそういうふうに、私たちは空間を越える。土地を介さずとも、心を動かすことができる。史上初のオンライン外語祭も、そうやって完成させた。

未来がやってきている。彼らは土地を知らない。歴史も知らない。「共有」することだけを、彼らは知っている。
そして土地に温度は消えていく。

オンライン外語祭期間中、見事な晴天に包まれた私たちのキャンパス。しかし、いつもそこにあった賑わいは、もちろんない。地霊も不思議に思っただろう。
毎年大きな祭りをやっているのに、今年だけ、どうしてこんなに静かなのか?
土地を介さずとも、全てが完了してしまったのだろうか?

ーーーーー

いつか。
いつかの話だ。
遠い未来、私たちの学園祭は、土地に忘れられてしまうのだろうか。
外語祭があった事実はもちろん残るだろう。しかし、土地はその面影を残してくれるのだろうか。それともきれいさっぱり別の姿に変わってしまい、この土地を訪れた人にも忘却されてしまうのだろうか。

それでも、何とか未来まで。
この土地で開催されていた私たちの祭りを、地霊に「おぼえて」いてもらいたい。
そのためには、土地に住まう人びとに語り継いでもらう他ない。
土地に愛され、地域の人びとに愛される学園祭。
外語祭がそんな学園祭になれば、
どんな遠い未来でもこの記憶が失われることは無いだろう。

だからこそ、外語祭は地域に根付いた学園祭であるべきなのだ。
外語祭実行委員会広報局地域担当として奔走したこの1年を、私はそういう風に理由づけている。
そして、来年以降も地域と外語祭の絆が引き継がれていくことを切に願う。

いや、言われずとも引き継いでくれるような信頼できる後輩に恵まれたので、不安は無い。

最後に。

府中市の伝統の祭、くらやみ祭のルーツは2世紀まで遡る。
土地の人々に受け継がれ、地霊に記憶され、
伝統は2000年続いているのだ。

同じように。
ここ府中の土地で外語祭があったことを、
地霊が数千年後も「おぼえて」いてくれてるといいな、と思ったりしながら、
私は来年もこの学園祭の広報活動に専念することとする。

Genius Lociに、記憶を任せて。

(写真は工事前の多磨駅。今は見事に変貌した多磨駅の昔の姿も、確かにここにあったと「おぼえて」いたい。)